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日本の武の美、戦国武将と変わり兜のデザインブランド【もののふ】戦国武将の精神性と安土桃山時代の豪華絢爛・自由闊達な文化を現代風にアレンジして伝えていきたいと思います。

【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編04

【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編01はコチラ
【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編02はコチラ
【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編03はコチラ

圧切さん伊勢詣4-1


伊勢神宮の内宮へ到着。

内宮の鳥居までの参道は、おはらい町とかおかげ横丁とかいう名前の
出店の立ち並ぶストリートです。あの赤福もここにあります。
ここは、清水や浅草のソレよりも規模がデカい!!

まんじゅう屋、ドーナツ屋、土産屋、アイス屋等々のこういうところの
マニュアル店の他に、伊勢ならではのさざえ焼きだのあわび焼きだの、
伊勢海老焼きだの、そういう店まであります。勿論、生ビールも!!
大阪のたこ焼きやは流石になかったような気はしましたが・・。
魚介類の串を片手に、生ビールのコップを持ってるワタシ!!であります。
更に、銀行が江戸風の作りになってるところもお洒落でいいです♪
外人さん観光客もめっちゃいっぱい見かけます。

圧切さん伊勢詣4-2


神宮という名称は、この伊勢神宮の事です。
今でこそ、XX神宮はたくさんありますが、元々は、伊勢神宮、石神神宮しか
なくて(日本書紀)、平安時代では、伊勢と鹿島と鹿取、江戸時代までは
この3つが王権直属の神宮とされていました。

さて、伊勢神宮とこの伊勢については、まだまだたくさんの謎や不可解な事や
興味深い事も多いのですが、今回は訪問の意図も違うので、これについては
未来の機会へ持ち越しとさせて頂きます。

ただ一つ、創建された頃から暫くは、この国には、神と人と人以外しか
いなかったようです。当たり前のような事ですが、ここでいう人とは、宮中に
関連していた人。つまり、それ以外は人ではなかったわけで。
私達のような庶民も、勿論人ではなかったらしいです。鬼とか蛇とか、
そういった類と同等だったようで。

ただ、九鬼氏の時期、この伊勢が小区域に分断し戦いの途切れない頃には、
伊勢の神官達も二手に分かれて一緒になってけん制し合ってたようですから、
古から戦国までの間には、まずホモサピエンスは一応、人として認識される
ようになっていたのでしょう。このプチ逃亡の最後に、伊勢の壮大な秘密の空気に
ちょっとだけ触れた事も、また何かのご縁かもしれません。
何となく、頭の隅っこに「つづく」の文字が浮かんだような・・・・。

足の痛さを引きずりつつ、
伊勢市駅JR特急「みえ」→名古屋JR東海新幹線「のぞみ」→
品川JR埼京線と乗り継いで帰るごとに、過去から現代にワープしているような気分。

そして、今自分は、平成の真っ只中に存在しています。


               2008年 5月     圧切


本日で【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編は終了です。

最近、戦国関連で愛知、岐阜、滋賀と行くことはあるのですが
気がついてみれば三重県をまだ訪れたことがありませんので
非常に興味深く拝見させていただきました。

大きな伊勢エビを見まして、いつか伊勢に遊びに行こうと誓いました。

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【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編03

【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編01はコチラ
【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編02はコチラ


圧切さん伊勢詣3-1


九鬼氏は、信長公に、常に背中とお尻を押され続けて、或いは身体と頭脳を
引っ張られ続けて、前に前にと進んで来たわけですが、あの本能寺の変以降、
その反動で暫くは虚無感に苛まれ、ある時期は、生まれて初めての高熱に
脅かされ、今でいうところの欝のようになっていたと推測されます。

恐らく殿の家臣の中でこのような状態になった方々は、たくさんいたのでは
ないでしょうか?いきなり、目の前の全て、それも生甲斐や目標が無になる
というのは、どれほどの空虚を産むか想像に難くないです。特攻待機のまま
終戦を迎えた父も、何年もグレるしかなかったとよく言ってましたし。

でも、こうしたまさかの時にも、元気で乗じる事のできた秀吉という人は、
やはり抜け出た人だったのでしょう。今の時代も、運命がいきなりボールを
投げて来て、それを受け止めて返せる人と受け入れられずに停滞する人が
いるのはよくある事ですから・・。

その後、秀吉の朝鮮征伐でも、九鬼氏の戦略の意図が通じず敗戦に至る事も
あったものの、九鬼氏は重用されるまま戦艦の建造(=傑作日本丸)に
邁進します。それらの船は全部木製です。蒸気やエンジンの発明以前では、
鉄張りの船で長く航海をするのは無理というもの。あの鉄甲船は、あの時の
あの場所のみのために出現した、世界で一個の、本当に幻の船だったんですね〜。
まさに一世一代、一期一会の船でした。・・・・・・

圧切さん伊勢詣3-2


さて、私はというと、もう乗船時間が迫っています。
取り敢えずまだこの先に、一応見ておきたい原寸大の安土城が待っていますし。
短い時間でしたが、この島とはこれでお別れです。
モギリのお姉さんに手を振られるままに、一路鳥羽へと帰還船・・・・・。

この帰りの船の乗船中に、あのタクシーの運転手さんから携帯に電話が
入りました。予定してあった時間より、少し時間が余ってしまっているし、
自分は今日はもう上がりなので、その安土桃山村まで送りますよ、というもの。
え〜〜?いいのか?と迷いましたが、ここって定年制ってないのでしょうか?

その方は、もう齢70のおじいさんなんです。一応は遠慮してみたものの、
上司もそう言うし、などと仰られたら、断るのもなんだか無粋のような気がして、
折角なのでご好意を受けることに致しました。

発着場についたら、90度お辞儀で待ってるし!みたいな(汗)。
ちょっとだけ、私って雅な人?とかいう気分になりました(笑)
しかも途中通るしという事で、二見が浦に寄って下さるという
気の利きようです(感謝!!)取り敢えずも天照大神像に接見させて頂いて
良かったです!!

(続く)

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【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編02

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圧切さん伊勢詣で03


さて、ここからの山道は苦行の一言に尽きます。

長い、険しい、急勾配、ひたすら登るのみ!!
まだか?というようにただ細い上り坂がどんどん続きます。
正直安土の石段や箱根の坂の方が、まだ楽だったように感じました。

地元の方が、ここをず〜っとまっすぐだよ!と教えて下さりながら、
写真まで撮って下さったり、ここでも島の人の優しさに触れて感激しながら登ります。
でも道幅が狭い上に、横からハチやらあのこわ〜〜いバタフライなどが飛び出して、
気持ちに余裕がない。急げ急げのハイキングは危ないです(@@)

それでも、フワっと視界が開けて、海の青さが目に飛び込んで来たその時、
それはそこにありました。九鬼氏の首塚です・・・・。
暫く私も佇んだ後、今度はそれから何倍かの距離、今度は急勾配の下りですが、
麓の方まで回りこんで降りた所に、胴塚がありました。

九鬼氏は、関が原において真田家と同じような選択をしたため、
東軍についた息子に、家康は西軍についたこの父親の首を所望します。
船の技術、特に大型船造船の技術が反乱分子に広がる事を、家康は異常に
恐れていた節があります。 息子は、拝命を受けた土地や官位の返還で、
父の助命を果たそうとしますが、 察した父親の九鬼嘉隆が自ら自刃して
この島で果てたのだそうです。

圧切さん伊勢詣で 九鬼嘉隆公墓


首は当時の慣例というか、家康側の首実検のために差し出さなければならず、
胴体の方が先に葬られるのが常で、 胴塚はまるでその後戻って来る首を迎える
ためかのように麓に近い方にありまして、 首塚は、一面伊勢湾を見下ろせる
場所に佇んでいます。そして、自刃したとされる洞仙庵=血洗いの池までもが、
うわっという気持ちになるというよりは、それを行った家臣達の切ない気持ちが
流れてくるような気さえして、こうしてみると、この小山一体が、もう九鬼氏の身体
そのものなんだなぁ!を実感します。首と胴が離れているのではなくて、
山ごと身体となってご神体のようにこの入り江に構えているわけですね。
だから、ここは九鬼氏そのものなんでしょう。

この小山が、以前流れていた某ジェットコースターを女体に見たてたコマーシャルの
画像と(あ~あんな感じだぁ)シンクロしてしまいました。


戦後最強と言われた村上水軍攻略の為に、信長公の命により建造された鉄甲船は、
欧州でさえも200年余の未来に出現したとされる世界初の鉄張りの船です。
現代ではこの審議について、喧しいまでの議論がなされております。
いやあった、いやなかった、などなど。でも私は100%あったと信じたいと思う一人です。
何故なら馬揃えならぬ、この6艘の船揃えなるものを大阪湾にて執り行う由の案内状を、
関係各位に文書で送っているようですし、何よりそういった記録の報告が、宣教師に
よってポルトガルへ送られた書簡に残っているのです。

発案者の信長公と九鬼氏の工夫と熱意がなければ、この船は出現する事は
なかったはずです。当時、見物に来た人々から出た言葉は「黒船だ!」だそうです。
それを思うと、幕末に「黒船!」と騒いだこの日本はいったい????と
思わずにはいられません。それもその筈、各領地の反乱を恐れる余り、徳川幕府は
大型船建造禁止令なるものを出しています。

幕府の時代は、たくさんの庶民の文化は生みましたが、殿のような稀有な人間の
発想はどうも忌むべきものだったのか回避されてしまったような気がして、
生かされない消えた文化を大変に惜しいと思えてなりません。

(続く)

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【圧切さん戦国史跡レポート】伊勢詣編01

圧切さん伊勢詣で01

普通、「伊勢詣で」といえば、外宮内宮からなる伊勢神宮詣での事らしいのですが、
ここでいう所の「伊勢詣で」とは、「九鬼詣で」の事です。
あの、信長公屈指の水軍、戦国一と言われた毛利の「村上水軍」を看破した、
「九鬼水軍」の大将、九鬼嘉隆公ゆかりの地を辿ることが、私のいうところの
「伊勢詣で」なのであります。

前々から行きたいと思ってもいたし、ある方から、伊勢には原寸大の安土城が
あるなどと聞かされた日には、殿命である私の心はどこまで飛んで行くのかと
いうほどに、想いが募ります。

九鬼氏については、詳細は↓にてご参照のほどを。
http://www.jpreki.com/jp/kuki.html

4/25日の深夜バスにて、鳥羽へ。

明朝7時半着。到着15分前から何故か土砂降り!!またかよ!と嘆きそうに
なるものの空は明るい。覚悟を決めて出陣です。
鳥羽より4時間確保してあった観光タクシーで、当南端の波切&大王岬へと
向かいます。ここにはローカルなバスと電車しか行けず、一時間か二時間に
1本くらいなものなのでここでの時間の浪費は避けたいところ。
レンタカーより安く済むなら、道を知ってる方の車の方が安心だったのです。
それくらいお手頃価格!!ありがたい〜〜。
しかも、空はどんどん晴れて行き♪

ここ波切は、九鬼氏が幼少から青年期までを過ごした海の要塞です。
内湾と外洋の流れのぶつかるこの海とこの済んだ青さは、まさしく男の海です。
しばし、こんなところで育ったら「漢」も生まれるというもの。などと浸りきりの時間です。
が、ぐずぐずしていたら、本日中には帰れません。
そこから取って返して、自ら築工し壮年期を過ごしたとされる鳥羽城跡へ。
ここは現在、城跡と小学校が混在しています。

更に、鉄甲船を造船したとされる大湊を左前方に仰ぎ見て、定期連絡船にて、
その生涯を閉じたとされる、答司島へ向かいます。25分後到着。すでに12時。
乗船券のモギリのおねえさんに、
「次の(45分後)船に乗りたい。伊勢海老の美味しいのが食べたい。九鬼氏の
首塚と胴塚にお参りしたい。」などといきなり何言ってんの?ともいうべき
我儘を申し出たところ、「よっしゃ!ちょっと待ってや!」と言うが早く、どこぞに
携帯電話で連絡。

すると数分後に、どこかのおすし屋さんの軽が来て、あれよあれよと言う間に
乗せられ、着いたらテーブルには飛び跳ねてる巨大な伊勢海老!

圧切さん伊勢詣で02


それで「これでどうだい?値段はコレコレ!」「ええ?!」・・・
もう本当に驚くほどのリーズナブルなお値段!!
「い、いいんですか?」と聞いたら、「俺は漁師だからよ!」という返事。
「それに首塚行くんだろ?いいよいいよ、食べたらちゃんと送ってってやるから。」
私「!!!」。でもそういう私も、喉も渇いてるし腹も減ってるしで、ビール片手に
お行儀の悪い食べっぷりで、あきれてるかしらん?と思えば、皆さんニコニコと
様子を見守って下さっています。

そうなんです!ここの人たちはみんな九鬼さまが大好きのようで!!
九鬼さまに限らず、後で確認したところ、昭和やそれ以前に、この島から出兵
された方々の石碑が、九鬼さまの胴塚の横に、ズラっと建てられているのです。
まるで、その一角山ごと聖地のように・・・。

とにかくブタのようにガツガツ食べてる間にも、時間が迫ります。
「ほんっと!美味しかったです〜〜!!」と言うか言わないかのうちに、
外にはあの軽がスタンバイしています。御礼の言葉もそこそこに車に揺られて、
首塚と胴塚のある山の麓に着きました。
きちんとお礼をと思ったのですが、「ほら!ここからの山道は大変だし、
早くしないと船が出てっちゃうよ!」「じゃぁな!」と片手で「よっ」と
ばかりのパフォーマンスで、軽はブゥ〜〜っと行ってしまいました。
私は忘れませんよ〜。「まるみつ寿し」の親方!!

いつか、この島には、絶対に泊まりに来るからね〜〜!!
ここは和具という漁港で、この島の反対側は、夏は本当に賑わうビーチ
なのだそうです。もう絶対に泳ぎに来たい!
九鬼さまの泳いだこの青の綺麗な伊勢湾に・・・。

(続く)

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